「殺し屋さん、何してるの?」

突如響いた声に、青年は驚いて本を勢いよく閉じた。図書館へ入ってきた少女は、青年をじっと見つめ、すぐさま青年が持っていた本を取り上げた。

「ダメ。ここの本は全部私のものなの。」

少女は、青年を押しのけ、本を元の場所に戻した。

「ここの本はお爺様が私のためだけに作った図書館なんです。だから殺し屋さんはここの本を読んじゃダメだし、ここに入ってもダメ。」

少女は青年の手をつかむと、部屋の外へとひっぱり、そのまま廊下を抜けて階段を上り一階へ出た。ダイニングに着いたところでようやく手を離した。

「お茶が入りますよ。」

少女はにっこりと笑った。

○     ○     ○

蛇口が一階の貯水タンクに、貯水タンクが館の傍の清流につながっていることを確認すると、依頼の一つ、館の調査が完了した。

もう一つの依頼を完了させようと、今度は一日中少女についてまわった。

朝起きてから身支度をし、朝のお茶会をする。それから洗濯と、生活スペースの簡単な掃除をする。そして午後のお茶会をする。その後は地下の図書館にこもる。夜のお茶会の時には出てきて、それが終わると寝てしまう。

特に何もしない毎日。一日がゆったりと過ぎていく。

○     ○     ○

あるとき、青年は台所でお湯を沸かす少女の背後に立っていた。無防備な背中に得物を向ける。

あとほんの少し指に力を込めるだけ。引き金を引くだけで少女は。

少女は、もうすぐ紅茶が入りますよ、と言った。

そしてあの笑顔を見せるのであった。初めて出会ったときのあの笑顔を。

青年は引き金にかけた指をはずしてしまった。

また後でできる。

あるとき、青年はダイニングでテーブルを拭く少女の背後に立っていた。無防備な背中に得物を向ける。

あとほんの少し指に力を込めるだけ。引き金を引くだけで少女は。

少女は、お茶にしましょうか、と言った。

そしてあの笑顔を見せるのであった。

青年は銃を構える手を下ろしてしまった。

また明日できる。

あるとき、青年は庭で洗濯物を干す少女の背後に立っていた。無防備な背中に得物を向ける。

あとほんの少し指に力を込めるだけ。引き金を引くだけで少女は。

少女は、そろそろお茶の時間ですね、と言った。

そしてあの笑顔を見せるのであった。

青年は銃をベルトに戻してしまった。

またいつでもできる。

青年は紅茶をいれるために率先して台所へ向かった。

そんな生活が続いていた。

○     ○     ○

そんな生活が続いていたある日のこと。

ドアの外れてしまった戸棚からティーバックを出す。雫がぽたりぽたりとたれる蛇口から、ふたが曲がってしまってきちんと閉まらないやかんに水を注ぐ。それを、五回目か六回目でやっと火のつくガスコンロにかける。ガラスが抜けてしまっている食器棚から細かい花柄のティーカップを二つ出した。

青年はテーブルを拭き、少女の出したカップを受け取り、並べた。動くたびにベルトから下げたボトルから音がする。いつの間にかカプセルの残りは少なくなっていた。

少女は、思い切り引っ張らないと開かない引き出しからティースプーンを取り出し、カップに添えて置いた。やかんがしゅーしゅー鳴り出し、少女はコンロの火を止めた。ティーカップとおそろいのティーポットをコンロのすぐ横にスタンバイさせる。

「熱っ……」

湯気がしゅーっと襲い掛かり、少女は思わず手を引っ込める。

「俺がやるよ。」

「ありがとう、殺し屋さん。」

少女はにっこりと笑って席に着いた。ぼーっと窓の外を眺めている。

あぁ、そういえば、今日は雲ひとつない綺麗な青空だ。

紅茶の缶から葉をポットに入れる。そしてお湯を注ぐ。そっとポケットから小瓶を取り出す。白い粉末の入った小瓶。カップにぱらぱらとそれをこぼす。紅茶をカップに注ぎ、さっきのカップには角砂糖を二つ入れた。両手でカップの載ったソーサーを持ち、少女の目の前に置く。

「砂糖は入れてあるから。」

「いくつ?」

「もちろん角砂糖ふたつ。」

ばっちりね、と少女は紅茶に目を落とした。

青年は台所に戻り自分のカップを持ってきた。少女は青年が席に着くのを待たずにカップに口をつけた。

カップに口をつけようとする少女を見たとき、青年の手からカップがするりと落ちた。そのまま青年の手は伸び、少女のカップを弾き飛ばした。

カシャンと高い音に少女は肩をすくめた。何ももっていない自分の手をきょとんと見つめる。

青年は自分の手を見つめ呆然と立っていた。

思わず手が出た。

少女は床に散らばる破片を見つけ、ようやく状況を理解する。

「なにするんですか、お気に入りなんですよ。」

雑巾とほうきとちりとりを取りにちょこちょこ走る。青年は口を手で覆い、ため息のように言った。

「ああ……悪かった。もう一杯お茶を入れよう。」

自分が何をしてるのか、何がしたいのかわからなくなる。ガラスが抜けてしまっている食器棚からほこりをかぶったおそろいのティーカップを二つ出した。やかんを温めなおそうと火をつけたのと同時だったかもしれない。

少女の呼ぶ声がした気がして、青年はダイニングの方を振り向いた。

「殺し屋さん」

少女は床に座り込み両手で胸を押さえていた。指の間から鮮血が漏れ出す。少女のスカートを見る間に赤く染め上げていく。

「 おめでとう 」

少女はにっこりと笑った。初めて会ったときと変わらぬ笑顔。

「違っ……」

少女の体が何か衝撃を受けたようにびくんとゆれ、倒れた。

正面のテラスの方から人が歩いてくる。それは今まで組んで行動していた先輩だった。

「よっし、依頼完了♪」

男は引き金に人差し指を通しくるくると回していた。人を殺したところだというのに、子供のように笑っている。

「なんで先輩が……」

男の笑顔が一瞬で変わり、捕食者のような目で青年をにらんだ。

「マヌケな後輩の尻拭いに来たんだよ。これぐらいの仕事でなにこんな時間かけてんだこのボケっ。」

男はそのまま近づくと、倒れている少女の頭に、回していた銃を向けた。サイレンサーがついている。

静かに少女の頭が飛んだ。

青年は初めて見るものにこみ上げてくるものがあった。流し場に顔を向ける。吐き気が止まらなかった。

男は銃をしまい、青年の横に立った。

青年は顔を上げ、袖で口元をぬぐった。

「先輩、館の調査報告をします。ついてきてください。」

少しよろけた足取りで青年が歩き、男は再び出した銃を指でまわしながらついていった。

○     ○     ○

「ここが図書館です。」

青年はこの場所を案内すると、本棚の影へ消えた。

多くの本に男は目移りする。男は本の題名を見ながら部屋の外周沿いに歩いた。

青年は以前見たきりの本を開いた。だが、どこまで見たのかわからない。適当に最後の方を開いた。

庶民の娘は貴族の娘の首を締め上げました。

私に内緒でこそこそと……

知らないわ。

貴族の娘はわずかに通る息でそう言い続けます。

知らないなんて言わせないわ。じゃあどうして私のお茶を飲んでいるのにあんな風に顔をしかめるの? ため息をつくの?

庶民の娘の手に力がますます込められます。

青年は数ページ飛ばし、最後のページを見た。

しかし、庶民の娘のものより美味しい紅茶など、貴族の娘は持っていませんでした。全ては庶民の娘の勘違いに過ぎなかったのです。

庶民の娘はつまらないことで大切な友人を失ってしまったのでした。

ぱたんと本を閉じ元に戻す。つまらない終末だ。

入り口付近から男の声が聞こえた。そちらに向かう。

「どうしたんですか?」

男は本棚の本の出し、開いては閉じて放り投げ、また本棚の本を手に取った。

「どれもこれも、硬い物騒な題名に似つかわしくない子供向けの本じゃねーか。」

青年も一冊を手に取り開いた。題名は難しい言葉で書かれていたが、内容はさっき読んでいた本とあまり変わらない雰囲気だ。

「は……ははっ………あはははははっ」

おかしい。たまらなくおかしい。青年は気付いたから。

「なにがおかしいってんだ。」

男は青年をにらみつけた。かまわず青年は外周沿いに歩く。

この館には何もなかったのだ。庶民の娘の手は貴族の娘の首へと伸ばされた。何もないのにあるという幻想にとらわれた依頼人は、青年達に依頼をした。

けれど、何も残らない。寂しいだけだ。

青年は、壁の燭台から蝋燭を取り、散らばった本に向かって投げた。本は勢いよく燃え上がる。青年は次々に部屋の灯りを本へ投げた。

「おい、おまえ……」

「先輩、ここには何もないんです。」

どうすればあんな悲劇は起こらなかった?

貴族の娘がいなければ。

「この部屋の隣にはガスが蓄えられていました。先輩、腹くくった方がいいです。」

殺人依頼が出るような危険人物? ……ばからしい。ここにいたのは、世間を知らない少女と、度が過ぎる過保護の『お爺様』だけだ。

○     ○     ○

大きな森の真ん中にぽっかりと小さな平原がある。背の高い木に囲まれたその空間はまるで谷だった。空の青と草の緑で埋め尽くされている。どこまでもこの二色がなくなることはない。平原の真ん中はえぐれ取られたようになっていて、木片が散らばっている。

 ここには、何もない。

うん、結構お気に入り。
背景写真は『m-style』よりお借りしました。