真っ赤な霧で前が見えない。
けれどそれはいつものこと。これが仕事なのだから当たり前。
少年は足下の地面にスコップを差し込んだ。そこから赤い霧が噴き出す。その霧は少年に吸い込まれるようにして消えた。周囲に漂う霧も、少年に吸い込まれていくが、完全に消えうせはしない。少年の掘る穴が徐々に広がるにつれ、噴出す量も増えていく。
スコップが硬いものにぶつかった。
見つけた。
スコップで穴を広げ、別に持ってきてあった小さいシャベルでざっくりと掘る。さっきぶつかった硬いものが姿を見せる。それから赤い霧が噴き出している。手でそれに付いている土を払うと、白く滑らかな表面が露出した。それを傷つけないように掘り進めると半分以上土から顔を出した。
さらに掘り進める。徐々に、噴き出す量が少なくなっていく。血のような赤が薄くなっていく。視界が明るくなっていく。周囲が見えるようになっていく。少年の掘っているそれの姿が、ほぼ完全に現される。
といっても辺りには何もない。少年のいるそこは金網で大きく囲まれている。ここから赤い霧が出ていたのだから当然なのだが。
少年は土の中から引きずりあげた。それは少年の腰までぐらいの長さだった。一面に扉のようなものが二つ左右に並んで付いている。試しに小さい方を開けてみると、中は空洞で、ものが入れられるようになっていた。板が差し込んである。扉の内側にはポケットのようなものが付いている。この箱を、長い方を縦に立てれば、瓶などを並べて収納できそうだ。下の大きい方の扉の内側も同じようになっている。
箱を金網の傍まで運んでいく。大きさの割に重く、ひきずるように持っていった。掘り返したやわらかい土に足がすこしめり込む。
「発掘できました。」
金網の外に立っている男に向かって少年は言った。
「ご苦労様。」
男が扉を開けると、少年は金網の中から外に出た。
「いつもどおり、発掘物の後始末は私達がする。これが今日の取り分だ。」
少年に紙幣を何枚か握らせた。それからやや長めの黒い髪をくしゃくしゃとなでる。
「今のでここは全部だな。明日も頼むぞ。場所は、この前立ち入り禁止と報道があった場所だ。知ってるよな、イツキ?」
イツキと呼ばれた少年はこくりと頷いた。紙幣をポケットに乱暴につっこみ、お辞儀する。
「それではまた明日。」
イツキはその場から走り去った。

家への帰り道は商店街を通る。背の低い建物が道を挟んでずらりと並ぶ。幅の広い道に店の人が出てきていて、買い物客を捕まえようと声を張り上げている。ここで夕飯の材料を買っていくのだ。
八百屋の店先で、イツキは献立をあれこれ考えていた。大根、人参、蓮根、芋、葱……野菜を眺めながら奥のほうまで入っていくと、足下が段々あたたかくなっていくことに気づいた。今は冬のはずなのに、そこだけ春のようだ。イツキに気づいた店の主人が、近づいてくる。
「お客さん、いいでしょう、これ。」
そう言って足下の小さい箱のようなものを見せてくれた。前面には細い金属の棒が縦に何本も貼り巡られ、その中には同じく細い金属の棒をぐるぐるときつく巻いたものが横に二本あり、オレンジ色に発光している。そこから春の陽気が送り出されていた。
「ストーブっていうんですよ、去年ごろ発掘されてニュースになりましたよね。それが発掘によってかなりの数が確保されたから販売することにしたとか。今日発売でしてね、早速買ってしまいましたよ。」
店の主人はからからと笑った。ストーブはイツキが発掘したものだ。何度も何度も、いくつもいくつも見たから覚えている。

イツキの仕事は、『魔栄時代』の遺物を発掘することだ。『魔栄時代』とは、魔力によって栄えていた時代。魔栄時代の人々は、魔機を使って生活していた。魔機とは魔力の力で動く機械のことで、このストーブがそうだ。他に、服のしわを伸ばすアイロンや、パンを焼くトースターなどがある。
魔機の発掘がイツキの仕事だ。現場で魔機を掘り出し、それを監督している上司へ引き渡す。給料はそれなりにいい。
魔機が埋まっている場所では、魔機から魔力が漏れている場合がほとんどだ。魔力は通常無色だが、高濃度では血のような赤に見える。発掘現場では高濃度の魔力…魔霧が立ち込めている。真っ赤な魔霧のなかでの発掘作業となるわけだ。

イツキは夕飯の材料、それと橙色のバンダナを買って帰った。家に近づくにつれ、店や家は徐々に少なくなっていく。何もない、黄土色の固い地面がひたすらに広がる、道ともいえない道をしばらく歩くと、ようやく小さな我が家が見えてくる。
「ただいま。」
扉から沈みかけた太陽の光が差し込み、誰もいない部屋が照らされる。買い物袋を無造作にテーブルに置くと、バンダナだけ持って家を出た。
家の裏は低い丘になっている。辺りに他の建物はないため、頂上にいると遠くまで見渡せる。丘の上では少女が座り込んで夕日を眺めていた。イツキの足音に気づき少女が振り向いた。
バンダナを巻いている少女は、大きな瞳でイツキを見つめ、笑顔で言った。
「お兄ちゃん、おかえりなさい。」
「ただいま、カリン。」
イツキは頭二つ分小さい妹の頭をバンダナの上からなでた。そしてさっき買ったバンダナを差し出す。
「おみやげだぞ。」
「わぁ、ありがとう。」
カリンは手が出ないほど長い袖をまくり、今つけているピンク地に白の水玉のバンダナを取った。それと一緒に真っ白い髪の毛が数本抜け落ちる。少ない髪の隙間から頭皮が見え隠れする。今とったバンダナを口にくわえ、おみやげのバンダナを受け取る。橙色のバンダナをつけ、くわえていたバンダナを手に持った。頭のバンダナにそっと触り、控えめに笑う。
「お日さま色のバンダナだぁ。」
背後の夕日にとろけていなくなってしまいそうだった。

カリンは重度の魔力アレルギーだ。髪の毛は、昔魔霧の中に入ったときになってしまったものだ。魔機の故障で魔力が噴き出し、赤一色となった部屋にカリンはいた。皮膚は赤くなり、水ぶくれもできていた。呼吸困難にも陥り、生死の境をさまよった。
そのとき一緒に母親を亡くしている。母親は軽度のアレルギーだった。しかし、故障した魔機のすぐ傍にいたのだ。噴出する高濃度の魔力の直撃を受け、助からなかった。
カリンは、小さいころだったからというのもあるかもしれないが、アレルギーの症状である軽い記憶喪失により、そのことを覚えていない。
魔力アレルギーのカリンは町に出ることもできない。町では魔機がよく使われているからだ。魔機は、発掘現場ほどでないにしろ、わずかに魔力を放出している。そんなわずかの魔力にも反応し、症状が現れる。魔力アレルギーの人間などあまりいないので知らない人が多く、町や、魔機販売企業の配慮はほとんどない。今や魔機は生活に密着しており、少ないアレルギーの人のために魔機を使うな、と言う方が難しかった。町を歩いたからといって死に至ることはないが、イツキはカリンを町に連れて行かないようにしている。父親はカリンのために町から遠く離れたこの地に家を建てた。その父親も今はいない。

兄妹で手をつなぎ、二人で我が家へ帰る。丘のふもとまで降りたそのときだった。
地面が大きく揺れた。
地震だ。とっさにイツキは妹をかばうように抱きかかえた。家からガチャン、と食器の割れる音がする。数秒で揺れはおさまった。
丘の向こう側で、赤い霧がゆっくりと広がるのがかすかに見える。イツキの顔色が変わった。
「すぐに家に帰るんだ。絶対に出てくるんじゃないぞ。」
焦っているイツキに対して、カリンは不満の声をあげる。
「え、でも……」
「でも、じゃない。帰ってろ!」
お兄ちゃんがいるから大丈夫でしょ、という言葉を飲み込み、カリンは家へ向かった。数歩走ると立ち止まって振り返り、また走っていった。
イツキは魔霧の方向へ、丘を駆け上っていった。てっぺんに立つと、家とは反対側の、丘の下の地面が裂けているのが見える。そこから魔霧が広がっていた。小さな裂け目なので崩れたりする危険はなさそうだが、魔機は十分な危険要素だ。丘を駆け下り魔霧の中に飛び込むと、魔機を探す。

イツキは特異体質の持ち主だ。イツキの体は魔力を吸収しようと努める。体内に魔力を溜め込むのだ。それでいてイツキは魔力の影響を受けない。仕組み・原因はわからない。しかし、この体質のおかげで今の仕事に就いているのだ。濃魔霧は特にアレルギーでない人間にとっても少なからず毒だ。通常魔力を人間は干渉しあわないが、魔霧でも特に濃いものだとわけが違う。発掘現場では、時折濃い魔霧がでることもある。危険を冒しながらの発掘となる。イツキなら安全に発掘作業ができるというわけだ。イツキはこの特異体質でカリンを養っているようなものだった。

魔力の放出量が減り、視界が晴れていく。
目の前の光景に、イツキは驚きの言葉をこぼした。
「人間……?」
魔霧の色をした長い髪、象牙色の肌。体は服ではなく、魔機の材料となる金属やプラスチックで覆われている。人の姿をしているが、これは魔機だ。魔力を放出しているのがその証拠だ。
頬に触れるとひんやりと冷たい。その瞬間、魔機はかっと目を見開いた。反射的に手を引っ込める。髪と同じ赤い瞳でイツキは見つめられた。
「人間……?」
先ほどのイツキと同じ言葉を口にする。高い澄んだ声だ。
しゃべった。姿かたちは人間だが、魔機であることは確かだろう。なんにせよ、ここにほっとくわけにはいかない。
思案をめぐらすイツキは彼女に答えなかったので、二人の間に沈黙が漂った。その沈黙にあどけない声が割り込む。
「お兄ちゃん、」
イツキの後ろからひょっこりと顔を出したカリン。カリンはイツキの肩越しに魔機の姿を認めると、控えめだった声の調子が急に変わった。
「人間、人間だ!」
魔機のすぐ横に座ると、穴が空きそうなほどに見つめ倒す。その好奇心が尽きることはなさそうだ。イツキはカリンを叱るつもりだったがその気も失せた。小さなため息をついて、
「とりあえずウチに来ませんか?」
魔機へ手を差し出した。