「あのね、私はカリンで、こっちがお兄ちゃんのイツキ。」
家に帰ってもカリンのテンションが収まることはない。次々に言葉が飛び出す。
「お姉さんの名前は?」
「えっと、」
彼女は戸惑ったように目を伏せ、薄い唇を動かした。
「サラという名前でした。……いえ、です。」
「で、サラさんは晩御飯いりますか?」
イツキは両手で持っていた鍋をテーブルの上に置きつつ聞いた。さっき買ってきた野菜をとろとろに煮込んだスープだ。スープ皿二つをカリンとサラの目の前に置き、小鉢をその二つと三角形の位置に置いた。
「いえ、私は……食べられないのでいりません。」
サラのスープ皿と小鉢を入れ替えると、小鉢はそのまま台所へ返した。小さな踏み台を持ってきて、イツキはそこに座る。カリンが鍋から皿にスープを注いだ。
「サラさんの髪、きれいだよね。ねぇ、どうしてあんなところにいたの?」
「カリン、食べながらしゃべるな。」
カリンからサラへの質問攻めはやまない。質問と質問の間に小さな咳がはいり、イツキはカリンの背中をやさしくなでた。サラは、はい。とか、えっと。とか、あいまいな返事しかしなかったが別にそれでもかまわないらしい。結局質問はカリンが床に就くまで続いた。
カリンの寝息が聞こえる。サラはキレイに片付いた食卓をうつろな目で見つめていた。
「サラさんは……魔機ですよね?」
イツキはカリンの席に座り、サラをまっすぐ見つめた。サラはイツキに視線を合わせようとしない。
「……魔機、ってなんでしょう?」
「えっと……魔力で動く機械のことで、ウチにはないんすけど……例えばストーブとか……」
「ストーブ?」
「えっと、冬なのに春みたいに暖かくなる……」
「ヒーターのことね。……そうね。私は機械なのかしら。」
サラが顔を上げた。しかしその瞳はイツキを通り越してどこか遠くを見ているようだ。
「昔は人間だったはずなのにね。」
「人間……サラさんは魔栄時代の人なんですか?」
「魔栄時代?」
「えっと、魔機で生活していた時代のことです。今俺たちは、魔栄時代の魔機を発掘して使っています。」
「私はもう過去の遺物なのね……。」
サラは寂しそうに笑った。その物憂げな表情にイツキは返す言葉が出ず、会話がそこで途切れた。沈黙の末に口を開いたのはサラのほうだった。
「私のことは気にせずに、どうぞおやすみなさい。貴方には明日があるのだから。」
ベッドへ促され、毛布をかぶる。その上からサラは胸を叩いた。鼓動に合わせて、ゆっくりと、優しく、母親のように……。

おかあさん、カリン、どこ?
真っ赤で何も見えないよ!
おにいちゃん……くるしいよぉ……
カリン、カリン!もう大丈夫だよ。
おかあさんはどこにいるの?
わかんない。
おかあさん、おかあさん……!

「お兄ちゃん、朝御飯できたよ。」
目を開くと妹の顔。手に持つフライ返しからはバターが香る。ゆっくりと体を起こした。ひどい汗でシャツがまとわりつく。嫌な夢を見た。
昨日と違ってサラが小さな踏み台に腰掛けていた。テーブルには皿が二つ。オムレツがひとつずつ乗っている。
カリンは右手のフライ返しをくるくる回しながら、寝起きのイツキに合わせてゆっくり歩いた。イツキの顔にほんのり笑みがこぼれる。
イツキが座ると、カリンがフライパンからオムレツを皿に移した。向かいの席にはサラが座っている。
「サラさんてば朝ごはんもいらないんだって。今日のオムレツ自信あるのに。」
「うん。うまいよ、今日のオムレツ。」
「やだ、お兄ちゃん。食べるの速いよ。」
空になったお皿を流し場へ持っていく。カリンは昨晩と同じ調子でサラに話しかけていた。カリンは話しながらゆっくりと朝食をとり、その間にイツキは出かける支度を済ませる。
「お兄ちゃんって朝はいつもこうなの。」
サラは相槌を打ちながら聞いていた。昨日と違って自分に関する質問でないため気が楽なようだ。
コートを引っ掛けドアの前に立つ。
「じゃあカリン、行ってくるからな。」
「はーい、いってらっしゃい。」
カリンは言い切ると大きく咳き込んだ。その背中をイツキはなでてやる。口元を押さえたまま、カリンは大きく手を振った。イツキはサラの方に向き直った。
「えっと、サラさん……留守の間カリンをお願いします。行ってきます。」
「行ってらっしゃい。」
にっこりと手を振るサラを見て、イツキは妙に安心した。

今日の現場は、人家のすぐ傍だ。しかしすでに避難した後で、もぬけの殻だった。魔霧の発生源は簡素な金網で囲まれている。いつものようにスコップとシャベルを上司から受け取る。そのとき、思い出したように彼が言った。
「昨日君が発掘した魔機の機能がわかったよ。箱の中の温度が下がるんだ。」
「へぇ、じゃあ夏に中に入って涼むもの……なわけないですよね。」
「人が入るにしてはサイズが小さいからね……。」

イツキが掘り出すときに魔機は魔力を放出しないが、中にはわずかに残っている。魔機の電源を入れて動かして見れば、とりあえず機能はすぐにわかる。同じ機能のものがいくつも発掘され、それらを動かし、一通り安全そうだということがわかると、数がそろった時点で販売が始まる。
発掘の前に、エネルギー回収の作業を何度か見たことがある。イツキが来る前にある程度の魔力を確保しようとするのだ。魔霧を袋に採る。そのままその袋を冷やすと魔力が液体として保存できる。それを、魔機に補充し販売しているのだ。

ずっとこの仕事をやり続けているが、どうしてもこの魔霧の中は慣れない。血の赤が視界に広がり、そしてそれが体内へ吸収される。足から、背中から、指先から、あらゆるところから体に入り、それがぞわぞわと体内を巡り、腹のところに収まる。どうしても好きにはなれない感覚だ。
このあたりは地震が多い。地震の拍子に地中に埋まっていた魔機が魔力を噴出することがある。魔機が埋まっている数は凄まじく、掘りつくしたと思って住宅地としたところでもまた発見されることもある。
発掘は昼をはさんで夕方まで行われる。昼は上から支給されるお弁当だ。正直言うと自分や妹の作る料理の方がおいしい。

陽が傾いている。穴の中から、ストーブを引きずりあげる。昨日八百屋で見たものよりやや大きいが、形状が一緒だ。
「イツキ、今日はそれで終わりにしていいぞ。」
「はい。」
給料を受け取る。二つに折ってポケットにしまいこんだ。
「明日もここだからな。」
イツキは上司に頭を下げると、商店街の方へ走っていった。
いつものように食材を買って帰る。バンダナなどのおみやげを買って帰るのは気が向いたときだけだ。

町から離れた小さな家。全開の窓からは光が漏れていて、楽しそうな笑い声が聞こえる。今まではカリン一人で、帰宅するころには丘にいることが多かった。
「ただいま。」
「「おかえりなさい」っ!」
二人の声が重なる。語尾がはねている方がカリン。穏やかな声の方がサラ。カリンの手にはホウキ、サラの手にはハタキが握られていた。
「あのね、お兄ちゃん。今日大掃除しちゃった。」
カリンが小さく咳をした。二人からほこりのにおいがする。
「サラさん、お兄ちゃんぐらい背があるでしょ。だからね、棚の上にも手が届くんだよ。」
ふっと笑みをこぼし、カリンの頭をなでる。カリンは誇らしそうに笑った。
「そうだ、今日の晩御飯私が作るよ。」
カリンはイツキから買い物袋をひったくるように取った。代わりにホウキをイツキに持たせ、台所へ駆けていった。
「お兄ちゃん、今日なんかおもしろいことあった?」
カリンは顔だけを向けて話しかけた。手元を見ないで野菜を切る様は実に危なっかしい。
「おもしろいことなんて別になかったけど……」
初めて妹に聞かれた質問に、イツキは少し戸惑っていた。
「あ、昨日発掘した奴の機能がわかったんだ。箱の中の温度が下がるらしい。」
大きめに切った野菜をフライパンに移す。
「何に使うの?それ。」
「用途はまだわからないってさ。」
両手でフライパンの柄をしっかり持ち、勢い良く振る。野菜が宙を舞い、フライパンに着地する。
あ、とサラが手を叩いた。
「それって“ぺったん”って感触の扉がついてますよね。」
宙で扉を開け閉めする動作をする。最初開ける瞬間に手に力がこもり、ぺったん。そうそう、とイツキも同じような動作を始める。食卓の上空に扉が二つ。
「きっと“冷蔵庫”だわ。中に食材を入れておくんです。そうするといつでも冷たいものが食べられるし、冷やしておけば腐りにくいでしょう?」
「「……なるほど、すごい。」」
台所にいるカリンの手は止まっていた。

カリンの寝息が聞こえる。サラは、少しずりおちた布団をカリンに掛けなおしてやった。
イツキは食卓にあごを乗せた姿勢のまま動かない。まぶたが閉じようとするのと格闘している。
「イツキ君も寝たらどうですか?」
サラは小声で話しかけ、イツキの肩を軽く叩く。
イツキはふらふらとベッドに飛び込んだ。
最後に見えたのは緩やかなカーブを描く赤い髪。
視界が真っ赤真っ赤真っ赤………

おかあさんは?おかあさん、おかあさん……!

瞳を開くと目の前が真っ赤で。
細い髪の毛が頬をくすぐる。サラが覗き込んでいた。
赤、赤、母親を亡くしたあの日、広がっていた赤。
「お兄ちゃん、おはよーっ!」
カリンがイツキのほうに向かっていく。すでに身支度はできていた。
「お兄ちゃん、寝ぐせでぼさぼさ。ちゃんと、梳かして来るんだよ。」
言葉の切れ目でいちいち小さい咳があった。
あ、とカリンが声をあげる。
「サラさんの髪、一度触ってみたかったんだよね。いい?」
そろり、と真っ赤な髪に手を伸ばす。
「やめろ!」
イツキの怒鳴り声が響いた。
カリンは手を下ろし、戸惑った顔で兄を見つめる。イツキははっと、口に手をあてた。
カリンが大きく咳き込んだ。イツキはカリンを抱き寄せ、背中をなでてやる。ようやく落ち着き、カリンはイツキの腕の中で肩を上下させた。イツキはそのままの姿勢で、サラを見た。どうしていいかわからないといった風で、カリンを心配そうに見つめていた。
「ごめんなさい。」
イツキが小さい声でサラに言った。
カリンが、イツキを押しのけるようにして立ち上がった。
「お兄ちゃん、私大丈夫だから。朝ごはん作ってくるね?」
台所へ走っていく。その後をサラが追おうとした。サラの肩をイツキがつかみ止める。
カリンに聞こえないように耳元でささやいた。
「ごめんなさい。でも、サラさんは魔機だから……」
つかんだ肩は、女性の小さい肩だった。

背景写真は『m-style』よりお借りしました。