大きな森の真ん中にぽっかりと小さな平原がある。背の高い木に囲まれたその空間はまるで谷だった。空の青と草の緑で埋め尽くされている。どこまでもこの二色がなくなることはない。平原の真ん中には低い丘があって、そのてっぺんには大きな家があった。二階建てで窓は二十八個。南向きにテラスがあり、その横には木製の大きな扉がある。

一階の奥にある台所に少女はいた。

ドアの外れてしまった戸棚からティーバックを出す。雫がぽたりぽたりとたれる蛇口から、ふたが曲がってしまってきちんと閉まらないやかんに水を注ぐ。それを、五回目か六回目でやっと火のつくガスコンロにかける。ガラスが抜けてしまっている食器棚から細かい花柄のティーカップを二つ出した。

○     ○     ○

大きな森をとぼとぼ歩いていた。右手で紙を一枚持ち、それを熱心にみつめる。視線をそらさず左手で、重力に従い垂れ下がった紙の角を持ち上げる。と、前を見て歩かなかった所為で木にぶつかった。顔と木に挟まれた紙がくしゃくしゃに波打つ。紙のしわを両手でびっと伸ばして青年はつぶやいた。

「絶対おかしいよな、これ……」

周囲に人がいないことも手伝ってか、段々声のボリュームが上がっていく。

「依頼人の名前書いてないし、依頼動機も書いてないし……いてっ」

今度は右肩から木にぶつかった。

森から平原に出た。背の高い木の代わりに青い空が見える。背の高い木に囲まれたその空間はまるで谷だった。空の青と草の緑で埋め尽くされている。どこまでもこの二色がなくなることはない。平原の真ん中には低い丘があって、そのてっぺんには大きな家があった。南向きにテラスがあり、その横には木製の大きな扉があった。

「母さん、姉さん……俺、やります。」

青年は強く、空に言った。

○     ○     ○

青年はテラスからそうっと中をうかがった。

台所らしきところをくるくると動いている人影が見える。

ベルトにはめてある仕事道具に手をかける。黒い表面に、太陽が映りこんでまぶしい白い円を描いた。まともに見て目を細める。傷がほとんどないそれは、『初めて』という緊張とわくわくを増加させていった。

からからとまわしてそれの準備ができていることを確認する。

テラスのすぐ外に膝を付く。両手でしっかりと包みこみ、腕を伸ばす。人影へとまっすぐ向けた。腕が震える。人間に向けて使うのは初めてだった。

震える人差し指にぐっと力を込めた。

ばんっ

まだあまり慣れていない反動と、ほぐれた緊張とでしりもちをついてしまった。

太陽の向きがわずかに変わり、人影が照らされる。ポットを持った少女は流し台の前でくるりと回った。髪の毛がひらりと舞い上がる。

弾はその髪の毛をかすめ、毛先を数本焼き切った。

少女は不思議そうな顔でテラスの方を見た。

少女と青年はちょうど目があった。

少女はポットを流し台に置き、長いスカートを少し摘んでダイニングを横切りテラスへ駆けた。

青年はそそくさと仕事道具をベルトに戻した。しりもちをついたそのままの姿勢で、駆けてくる少女を困った表情で見つめた。

少女は青年の正面に両膝を着くと、前のめりに青年を見つめた。自然に、青年は少しずつ後ずさりする。

あ。と少女は手を打ち、踵を返した。青年は、ただそれを見つめた。

少女はポットに紅茶の葉を入れた。綺麗な色の缶からスプーンへ。スプーンからポットへ、ぱらぱらと葉が零れ落ちる。火を止めずにやかんを上げ、少し高い位置からポットへ湯を注ぐ。やかんをコンロに戻し、火を止めた。ポットにふたをしてティーコジーをかぶせる。

そこで少女は青年の方に振り向き、笑顔を見せた。

「紅茶はいかがですか?」

もうすぐ入りますよ、と付け足す。再びテラスに駆けていき、座り込んだままの青年の両手を引いた。

雰囲気に呑まれ、青年はテーブルについたのだった。

少女は青年のいる小さなテーブルに、淹れたての良い香りのする紅茶と、お茶請けのクッキーを持ってきた。

「お客様なんて私初めてで。あ、どうぞごゆっくりしていってくださいな。」

そう言って少女は幸せそうにクッキーをほおばるのであった。

青年はカップを口元へ運んだ。唇に紅茶が触れる。少し熱い。ふぅーとゆっくり息を吐き、蒸気を飛ばした。

こんなゆったりと時間を過ごしたのは久しぶりな気がする。最後は……まだ家族といっしょにいた頃だと思う。

青年の母は体の弱い人だった。部屋から出てくることはほとんどなく、家のことは青年と三つ年上の姉とでやっていた。二人が大きくなるにつれ、貯蓄はなくなり家計は苦しくなっていった。母と姉に楽をさせたい。そう思うようになった。ろくに教育を受けていない青年にもできて払いの良い仕事……それが今の仕事だ。

最初のうちは先輩の下につき、道具の使い方や心得を教え込まれた。今日は一人でやる初仕事。

最も好きなものを今日持ってきている。リボルバー式の銃は、反動が少ないからと始めに使い方を教えられた。他にもあらゆる種類の銃器を扱ってきたが、これが一番好きだった。からからとリボルバーを回すのが好きだった。手持ち無沙汰にしているとき、気づけば無意識のうちに回しているまでになった。

紅茶を飲み終わった今もこうして。

「……お客様は」

少女の言葉にあわてて顔を上げる。銃は膝の上。

「どんな御用でいらしたんですか?」

青年はその質問で我に返った。

「そうだ、俺は殺し屋で……」

依頼内容「館の主の殺害及び館内の調査」

ここに来るまでの間穴が空くほど見つめ倒した依頼書を思い出す。今はくしゃくしゃに丸めてズボンのポケットの中。

「殺し屋さん? ふふふ、変なの。」

今少女は無防備だ。膝の上の銃を頭に向けて撃つだけでいい。これだけ近ければはずすことなどない。

でも、何故かできなかった。

○     ○     ○

殺すことはいつでもできる。青年はそう自分に言い聞かせた。こうして館の調査を先にやっている。

中を歩き回り、精密な見取り図を作る。部屋の寸法・用途・そしてそこに今あるもの。

二階に今使っている形跡のある部屋はほとんどなかった。少女が寝室に使っている東向きの部屋だけ。小さなベッドと、ダイニングのものよりさらに小さなテーブル。窓には淡いピンク色のカーテンがかかっていた。そのほかの部屋はほこりが積もっていて、もう何年も使っていないようだった。廊下も、階段と少女の寝室をつなぐ部分以外は同じだ。調査で歩いた青年の足跡がほこりだらけの廊下にくっきりと残っている。

最初の一日で二階。その翌日に一階の調査を終えた。そのとき地下への階段を見つけた。今日は地下を調査する。

最初の日のあの後、そして次の日も同じように紅茶が入った。今日も。

「殺し屋さん、お茶が入りましたよ。」

少女が天井に向かって呼ぶ。青年はゆっくりと階段を降りてきた。髪には寝癖が立っている。

二階の空いている部屋を寝泊りに使っている。まだ部屋のほこりは凄まじく、青年の背中にも大きなわたぼこりがついていた。

青年が席に着く前に少女は背中のわたぼこりをはらった。

テーブルに置かれた紅茶から良い香りが漂う。青年は、自分のカップにひとつ、少女のカップにふたつ角砂糖をいれスプーンでかき回した。

「すごい、もう覚えちゃったのね。」

少女は台所からクッキーを持ってきて、席に着いた。

朝の十時、昼の三時、夜の九時。一日に三回、これで六回目のお茶会。さすがに覚える。

毎回同じ味のクッキーをかじり、時間が過ぎてゆく。

ごちそうさまでした、と少女が手を合わせた。青年もクッキーの最後の一つをかじり、紅茶の最後の一口を飲み干し、手を合わせる。青年は自分のカップと少女のカップを重ね、それを皿の上に重ねた。崩さないように流しへ持っていく。

そして、青年は地下へ続く階段へ向かった。

○     ○     ○

地下へ続く階段は青年が思っていたより綺麗だった。二階のようにほこりが積もっていない。それは頻繁に使うことを意味している。

階段を下りながら、ベルトから下げたボトルをとり、中の黄色いカプセルを一粒出して飲み込んだ。上から支給されたもので、これを一粒飲めばその日一日分の栄養素が摂取できる。長く続く依頼の際には必ず持って行くよう言われている。

階段を下りると、細い通路につながっていた。まず右に直角に曲がるようになっている。天井は一階や二階と同じくらい高い。両脇の石壁はひんやり冷たく、数メートル置きに燭台があり、灯りの役割をしている。床は木でできていて、足音がよく響いた。

ちょうど十歩進んだところに扉があった。木でできている、上の階となんら変わりない扉だ。けれども、暗い廊下がそれを不気味に見せていた。

紙に、地下の簡単な見取り図を書き始める。でこぼこした石壁に紙をあて、屋敷の北西に階段。そこから東に十歩先南側に扉。見取り図とサインペンを左手に持ち、右手でそっとドアを押した。きーっとドアのきしむ音が響く。

中は思っていたより広かった。二階の部屋とちょうど同じくらいの大きさだ。棚がいくつも置いてあり、倉庫のようになっていた。青年は棚をひとつ覗き込んだ。どの段にも同じものが並べられている。青年はもう一つ横の棚も見てみた。それから部屋全ての棚を見てみた。どの棚にも同じものが並べられている。どの棚の、どの段にも、あの綺麗な色の缶が。紅茶の葉の缶がぎっしりと並べられていた。何年分あるのか、何十年分あるのか、何百年分あるのか、青年には想像がつかなかった。

見取り図に「紅茶」と書き込み、部屋を出る。さらに進むと、また十歩先南側に扉があった。石壁に見取り図を当て、通路と扉を書き込む。見取り図とサインペンを左手に持ち、右手でそっとドアを押した。きーっとドアのきしむ音が響く。

中はさっきと同じくらいの広さだ。さっきの部屋と同じように棚がいくつも置いてあり、倉庫のようになっていた。青年は棚をひとつ覗き込んだ。どの段にも同じものが並べられている。青年はもう一つ横の棚も見てみた。それから部屋全ての棚を見てみた。どの棚にも同じものが並べられている。どの棚の、どの段にも、瓶詰めの角砂糖が並べられていた。何年分あるのか、何十年分あるのか、何百年分あるのか、青年には想像がつかなかった。

見取り図に「角砂糖」と書き込み、部屋を出る。さらに進むと、また十歩先南側に扉があった。石壁に見取り図を当て、通路と扉を書き込む。見取り図とサインペンを左手に持ち、右手でそっとドアを押した。きーっとドアのきしむ音が響く。

中はさっきと同じくらいの広さだ。さっきの部屋と同じように棚がいくつも置いてあり、倉庫のようになっていた。青年は棚をひとつ覗き込んだ。どの段にも同じものが並べられている。青年はもう一つ横の棚も見てみた。それから部屋全ての棚を見てみた。どの棚にも同じものが並べられている。どの棚の、どの段にも、あのクッキーが真空パック詰めされているものが並べられていた。何年分あるのか、何十年分あるのか、何百年分あるのか、青年には想像がつかなかった。

見取り図に「クッキー」と書き込み、部屋を出る。さらに進むと、また十歩先南側に扉があった。石壁に見取り図を当て、通路と扉を書き込む。見取り図とサインペンを左手に持ち、右手でそっとドアを押した。きーっとドアのきしむ音が響く。

中はさっきと同じくらいの広さだ。さっきの部屋と同じように棚がいくつも置いてあり、倉庫のようになっていた。青年は棚をひとつ覗き込んだ。どの段にも同じものが並べられている。青年はもう一つ横の棚も見てみた。それから部屋全ての棚を見てみた。どの棚にも同じものが並べられている。どの棚の、どの段にも、プラスチックでできたボトルが並べられていた。一つ手にとりふたを開ける。そこには黄色いカプセルが入っていた。青年がベルトに下げているものと同じだ。何年分あるのか、何十年分あるのか、何百年分あるのか、青年には想像がつかなかった。

見取り図に「カプセル」と書き込み、部屋を出る。そろそろ暗い地下にも目が慣れてきた。同じように十歩進んだところに同じように扉があった。同じように見取り図に書き込む。見取り図とサインペンを左手に持ち、右手でドアを押した。今度の扉は少し開きにくい。体全体で少し勢いをつけた。

よろけるようにして部屋に入る。入ってすぐに柵が設けてあった。この部屋には他の三つと違って部屋の中に灯りがない。ドアを大きく開け、廊下の灯りを入れる。柵の奥には、部屋いっぱいの大きさのガスタンクがあった。地図に「燃料」と書き込む。

部屋を出るとすぐ、右に直角に曲がるようになっていた。南の方向へ進む。先ほどの部屋の奥行き分ぐらいを進み、もう少し歩いたところだった。西向きに扉があった。大きい扉だ。この館の入り口ぐらい、普通の扉の倍ある。今度は比較的簡単に開いた。

中は図書館のようだった。天井までびっしりと本が立てられている。この部屋が、見取り図で空いていた部分を全て埋めた。

「核兵器の作り方」「戦争の勝ち方」「世界征服への一歩」

教育を受けていない青年には、題名を見ても全くわからない本がほとんどだった。ただ、意味がわかるものだけをあげても物騒なものが並ぶ。この部屋にある本のほとんどがこういった危険なものなのだろう。館の調査・主の殺害依頼が出た原因はこれらの本と、本を含めた地下にあるあれだけのものを揃えられる財力が警戒視されているからだろう、と青年は思った。

一冊、他の本とは少し違う雰囲気のものを手に取った。子供向けの本のようだ。表紙には、貴族の娘と庶民の娘が切り絵で美しく描かれている。青年は本を開いた。