森林公園をびっと指差す。最後の方は涙に混じって声になっていなかった。
妖精をカバンと一緒にそっと抱きかかえると、私は土手を駆け上り、橋を渡って、森林公園の中に入った。
入るなり『工事中』の看板が目に入る。ぺこりと頭を下げるイラストと共に、右を差す大きな矢印が描かれていた。
はじの方に遊具や砂場がある。滑り台やジャングルジムなどの簡単なものがはじの方にある。だから、中央にはボール遊びができるほど広いスペースが残っている。
真正面は木が立ちふさがっている。
右の方は特に舗装されていない、土のままの道がある。両脇が森だから日陰になっていて、だから地面は湿っていて虫がたくさんいそうだ。この道は散歩コースになっている。
じめっとした地を蹴る。
少し坂らしくなっているところでは木や石が埋めてあった。道の脇にはときどき木の説明が書いてある看板が立っている。
「あっ、だめ、止まって!」
不意にかけられた声に足を止める。
高くて少し甘めの女の子の声。
「今のアンタ?」
『いいえ、違いますわ。』
妖精と顔を見合わせ首をかしげる。幻でも聴いたのか。
気を取り直して道を急ぐ。
周囲の豊かな自然さえ今の私には目に入らなかった。
少し行くと道が二つに割れていて、一方は黄色と黒のしましまのフェンスに進路をさえぎられていた。機械のエンジン音は奥から鳴り響く。
フェンスにはいつまで工事をやっているか、というお知らせのほかに、完成予想図が貼ってあった。
広い空間で、地面がカラフルなのはタイルか色をつけたコンクリートだと思う。ベンチがいくつか、そして大規模なアスレチック。木を組み合わせた本格派だ。はしご、階段、一本橋、滑り台……。私も小学生とかそれ以下なら遊びたい。
でも今は違う。
妖精の方を振り向くと、彼女は頭を抱え涙をぽろぽろと流していた。
『ミキ……クヌギたちの声が聞こえますわ。身を引き裂かれる苦しみ、同胞が倒される悲しみ。』
耐えられない、というように目をぎゅっと閉じた。私には木々の声は聞こえない。でも、風で葉がこすれあう音が、木々の叫びのように思えた。
痛いよ、やめて、助けて!
『ねぇ、クヌギたちを助けてあげて。お願いですわ、ミキ。』
頼るような、すがるような、悲痛な目で、私を見る。見ないで。
さっき、遊びたいなんて一瞬でも思った自分に怒りを感じた。
それはクヌギの犠牲の上に立つものなのに。
『ミキ!言いたいことがあるなら言って欲しいですわ………』
何もできない自分がくやしかった。
できない。だって、そうでしょう?私は子供で、工事をとめる力なんてない。
「助けてあげられない。私には何もできない。」
『そんな!』
妖精の、下がっていた眉尻がくっと上がった。
『ミキは、ミキはクヌギ達の気持ちがわからないからそんなこと言うんですのね。』
「違うよ!」
私が大声で言ったからか、妖精はちょっとひるんだ。私が言葉を続けると眉尻がつうと下がっていく。
「できないんだよ。私一人に工事をやめさせる力なんてない。私は、」
私は無力だから……
「ほら、アスレチックができれば子供が喜ぶよ。みんな楽しく遊ぶ、よ……」
声が震えた。
違う!そんな言い訳じゃなくて。私には何もできない。何もできないんだ。子供だから、弱いから……
「ごめんね、ごめんね……」
私は逃げるようにして公園を出た。
私にできることはない。
本当にない?
まともに前が見れない。
顔を上げられない。
妖精と顔を合わすのが気まずい。
目が涙にあふれている。
倒されるクヌギへの同情心か、それを救えない自分の弱さがくやしいのか。
全速力で走ってきて、心臓がばくばく言ってる。
緩い坂に、木が階段のように埋め込んであるところに座り込んだ。
荒い吐息と涙があふれる。
妖精もすぐ横にちょこんと座った。
『ミキなら助けてもらえると思ってましたのに……』
私は答えない。返す言葉が見つからない。
『アナタに頼った私が間違ってましたわ。』
顔も上げない。彼女の顔が見たくない。見れない。
『……何か言い返したらどうですの。』
彼女は声を荒げる。私は顔を思いきり背けた。
視線を落とした先にはタンポポが根付いていた。すでにこの時期は綿毛。茎が真ん中でぽっきりと折れてしまっている。
でも、強そうに見えた。
ゆっくりと深呼吸して荒い呼吸を整える。
ふうと息を吹きかけると綿毛は大空へ舞った。
目を細める。笑った。学校を飛び出して初めて笑ったはず。チューリップにお礼を言われたときのように笑った。張り詰めていた糸が緩んだ。
「園芸部、つくろうかな。」
妖精のまんまるい目が視界に入る。
私は立ち上がると進行方向を指差した。
日のあたるところに行きたい。こんな木の生い茂った日陰じゃなくて。
ハルジオンの咲き乱れる川原。私の足取りは軽い。
さらさらと川の流れる音と、土手の上を車が走る音。そして工事の騒音。
『ミキ、いったいなんなんですの?』
「園芸部をつくるの。」
午後のぽかぽかとした陽が私を照らす。
「学校を花いっぱいにするんだ。」
工事は止められない。でも、私にできることがある。
『言ってくれますわね。』
妖精が私の顔の高さまで飛んで来た。太陽の光に照らされ、羽がきらきらと輝く。
『始めの、言いたいこともしっかりと言えなかったミキとは大違いですわ。』
「言えなかった……言わなかった、かもしれない。」
園芸部をつくって学校を花いっぱいにする。
何度も反芻する。自分に言い聞かせる。
『一人でもがんばってくださいな。わたくしも手伝えることはしますから。』
「ひとり……」
しまった。新しい部活をつくるには最低三人必要だ。私には一緒にやろうと思える友達が思い当たらない。
とたんに暗い顔になった私を妖精が覗き込む。
必死に考えをめぐらす。いざとなったら部活でなくともできるだろう。できなくてもやる。
私が黙りこくったから辺りは静まり返る。
さらさらと川の流れる音と、土手の上を車が走る音。それに割り込む高く甘い声……。
「ねぇねぇ、藤村さんっ。」
「え、はい?」
声のした方をふりかえると、女の子がにこにこと経っていた。制服からして同じ高校。色素のやや薄い、カール気味の髪を高い位置で二つに結んでいる。どんぐり眼で人懐っこそうな顔だ。
「さっきは公園にいたのに。こんなとこにいたんだね。すごく急いでたでしょ。たんぽぽ踏んづけて行っちゃうんだもん。一応止めたつもりだったんだけど聞こえてなかったみたいでさ。無視して行っちゃうんだもん。あ、本題に入るね。今、藤村さん見つけて、話すなら今しかないって思ったんだ。」
口を開くと次々に言葉があふれてくる。表情がくるくるとよく変わる子だ。尻尾をはちきれんばかりに振る子犬のような印象を受けた。
「藤村さんっ」
彼女は私の手をがしっと握った。
「園芸部つくろうよっ!」
「よろこんで!」
私は手を握り返した。
「私、椎野早苗。」
同じクラスだから知ってるよね、と続き、彼女は私のカバンに目を落とした。そのまま飛びつく。
「これ、今日のヤツだよね?」
カバンのポケットから少しはみ出ていたわら半紙片を引きずり出す。
「私の見てくれたかなぁ?あ、これこれ。」
彼女が見せてくれた紙片は、ピンク色の少し太めのサインペンで書かれていた。たぶん、例の『森を返せ』の下に透けて見えていた奴だと思う。
『お花大好きなところに共感!友達になりたいヨ~園芸部いっしょにやりたいなあ』
気分が弾む。見ただけでわくわくしてきた。彼女がこれを書いてるときもわくわくしてたんだろう。内容が少し授業の趣旨とずれてる、というのは置いといて。
「………ありがとう。」
ふわふわのおさげにそっと声をかけた。
椎野さんが、あっ、と声をかけながら立ち上がる。なかなか見ていて忙しい子だ。私帰んなきゃいけなかったんだ、と手をポンとうった。
「それじゃあ、また明日ね!もう一人見つけて早く部活動しようねー。」
彼女は大きく手を振った。私も負けじと手を振り返す。
「私は藤村美樹。これからよろしくねー!」
工事に負けないぐらいの大声を出した。椎野さんの笑顔はいっそう明るくなって、なんどもこっちを振り返りながら手を振った。
『ミキ、よかったですわね。』
妖精がハルジオンの中からひょっこりと顔を出した。
「妖精さんのおかげ、かな。貴女に会えてよかった。」
『私もミキに会えてよかったですわ。』
私は何もできなかったのに?
少し悲しそうに聞くと、すこし困った素振りを見せて、でも笑顔で答えた。
『ミキが嬉しそうだから私も嬉しいですわ。』
私の目の付け所は間違ってなかったのですわ、と続いて、私は笑った。
もう止まらない。笑顔が次から次へとこぼれる。あふれ出す。
「妖精さん、ありがとうね。……名前は?名前はないの?」
『わたくしの名前?ありませんわ。ミキが付けてくれませんこと?』
大きな目で私をじっと見る。私はさほど悩まずに答えた。
「マリィ。」
『マリィ……良い響きですわ。』
「マリーゴールドの花言葉が“友情”って言うの。」
『ステキな名前ですわね。』
マリィはすごく、すごく嬉しそうに笑った。
私は森林公園を背にして川の方を向いた。カーネーションのいた花屋が見える。
ヒメオドリコソウ、オオイヌノフグリ、マーガレット、バラ、スズラン、パンジー、クローバー、チューリップ。ここからは見えないけれど、感じた。
「一番最初にマリィのために、マリーゴールドをたっくさん植えるからね!」
私が手を広げるとそれにあわせて風が吹いた。ハルジオンがいっせいに揺れる。
がんばれ、がんばれ、がんばれ………